7月30~31日に山の会「木曽駒ヶ岳千畳敷と養命酒工場見学」が28名の参加で催行されました。天候にも恵まれ盛り沢山の楽しい旅になりました。写真は千畳敷カール到着時の全員集合です。詳しくは本文をお読みください。

山本代表のメッセージ

Dear CHAMP Members and Members to be:

皆様、お元気ですか? 長い暑い、災害多い夏が過ぎ、やっと秋到来(但し新たな台風と)ですね。昨年のニュースレターNo. 80(11月発行)にも書きましたが、近年は巨大被害の災害が続いており、被災地の状況が非常に心配な毎日です。同様な災害がいつでも自分に降りかかる可能性があります。災害への意識が高まるよい機会とは言え、日頃の心構えが必須です。

当原稿を10月22日火曜日午後に書いています。そう、「即位礼正殿の儀」がありました。
古来ながらの衣装・式次第に驚嘆しました。印象深かったのは、しっかりとした天皇陛下のお声と「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら~」という一節です。昭和35年(1960年)生、59才の天皇は、父上の上皇から<象徴天皇とはいかにあるべきか、何ができるか>という課題を引き継がれていると思います。第二次世界大戦に巻き込まれ、悲惨な目にあった国民への責任感を受け止めておいでと感じました。新世代の天皇・皇后が世界の平和に尽くされることを信じて、ご健康をお祈りします。
一方、米国をはじめ世界各国は自国主義に走っているようです。トランプ大統領が皮切りで、パンドラの箱のように他国が自国ファーストになだれ込み、ひいては世界平和を脅かす現況をつくり出しています。これに歯止めはかかるのでしょうか? 非常に不安な世界情勢です。

チャンプからの謝意:
2003年1月のNL17号以来、年4回発行のチャンプニュースレターNL編集長を担っていただいた宮尾 賢(まさる)運営委員が本号をもって編集を辞されます。1998~2002年までロサンゼルスで制作していたつたないニュースレターを引き継いで下さり、毎号素晴らしい内容のNLを手配・編集・制作していただきました。その大変なご苦労とご貢献に対し心からお礼申し上げます。宮尾さんと一緒にお力を貸して下さった古川春生さん(故人)、川崎さん、中山さん、中林さんにお礼申し上げます。中林新編集長と新編集委員高橋さん、手島さん、よろしくお願い致します。

「物&考えの新しい伝達手段」(通信・物流・業務体制)を学ぶ機会:目まぐるしく変化する通信・物流と働き方、その変わり様に付いていけないままではやはり困りますね。新年2月の例会ではまずはお金の動き方(キャシュレス・仮想通貨、etc.)に関する今後の傾向と見通しなどについて勉強したいと思います。講師にはチャンプの若手会員で現役の銀行マンとして活躍している吉兼裕貴さんにお願いしています。日時と場所はNL次号でお知らせしますが、2月下旬の寒い時ですから、都心の会場を選びたいと計画しています。
「海外を見てみる会」パリ特化旅行10/13(日)~10/20(日)から無事帰国しました。6名の小グループでの最新のパリ紀行(中1日ブリュッセル)、当NLの3~6頁をお読み下さい。

「コーラスを楽しむ会」コンサートのお知らせ(13頁のご案内をご参照下さい):
11月23日(土)に第2回チャンプコーラス<世代を超えた音楽交流>コンサートを開催致します(日本福音ルーテル東京教会・14:00開演)。2016年の第1回コンサートと同じく田中美香先生総監修・ご指導のもと、聖望学園ハンドベルクワイアと聖歌隊の若い皆様とのジョイントコンサートです。ご家族・ご友人をお誘いの上、ご来場いただければ嬉しいです!

本年の総会・忘年会:
関西11月28日(木)18:00~21:00神戸(外国)倶楽部-幹事前田潤会員(当NLの15頁)、関東12月14日(土)17:00~20:00新宿三井クラブ-幹事安斉洋一運営委員長と宮尾賢運営委員(14頁)。令和元年の締め括り、多数の皆様のご出席をお待ちしています。

Best wishes,

CHAMP代表 山本儀子 Noriko Yamamoto

第77回チャンプ例会・2019年納涼会

9月7日(土)17:00~20:30

チャンプ恒例のサマーイベント「納涼会」が本年は9月例会と合わせて9月7日夕刻、湘南台チャンプハウスの12階ラウンジで開催されました。ようやく秋の訪れを思わせる爽やかな陽気で、約50名が元気な顔を見せてくれました。
冒頭、乾杯に続いて、安斉運営委員長の司会により議事が進められました。現役で仕事に励んでいる方が多く、なかなか普段は交流の機会の少ない準会員の皆さんが、数名この日のために出席され簡単に自己紹介を兼ねて挨拶されました。
平川睦二さんーチャンプハウスの入居者の賃貸借の管理を担当されるウエルホームの社長です。
ミサワホームから現在の仕事に転じた方ですが、社名の「ウエル」は英語の「良い」、日本語の「植える」更には「上へ昇る」などの意味を込めて、地元密着で頑張っておられます。続いては内田明子さんー美容院を経営されていますが、できるだけ自然の材料を使って、身体にやさしい美容サービスを心がけておられとのこと。島田幸子さんーご主人の博之さんと二人三脚で保育の仕事に全力投球、現在、4か所の保育園の運営に励まれています。一世代若い準会員の皆さんの力強い生き方を聞いて、正会員の皆さんもエネルギーを貰えたことでしょう。準会員挨拶の後、当日のゲストとして半田洋美さん(内田明子さん友人)、辻本明子さん(北川美幸さん友人)が紹介されました。
続いて、全員で会食、懇談の時間となりました。いつものように松村、中林両シェフが腕を振るった手作りの料理(グーラッシュとピザ)をいただき、アルコールを飲む方も飲まない方も賑やかに語り合って、逝く夏の一時を心から満喫した一夕でした。
会の準備、飲食物のサービス、終了後の片づけに携わってくださった皆さまに厚くお礼を申し上げます。(宮尾 記)

関西支部9月例会

9月17日(火)18:00より

参加者は、ゲストでお声がけした北川様にも出席いただき、山本代表はじめ、木下支部長、長田様、北沢様、辻様、加納様、前田(隆彦)様、岡田、計9名の参加となりました。
乾杯の後、まず山本代表から;
① 恒例の「アメリカ四方山話」では、
1)現状のトランプ大統領を取り巻く政争の状況
2)米国経済の現状と米国市民からみたトランプ氏、及び政策の方向の評価
3)次期大統領選の行方の読みについて、状況を報告頂きました。
② それから
4)米国市民間では「日韓問題」は‘我々には遠い小さな国の話’と話題にもならないが、
「現在の日韓問題」の状況をここに居る皆さんはどう考えているのか?と、問題が大きくなることを心配しての投げ掛けがあり、それについて様々な意見の交換をしました;日本はもっと強く出るべき/日本は丁寧に説明し真摯に対応すべき/現状の(相手にしない)対応でよい/韓国にではなく国際社会には日本の主張をもっと明確に説明すべき等々、韓国の国民性や韓国政治の在り方などに関しそれぞれの認識、情報戦になった時にアピールが強い方が勝つのでは、など認識の違いからいろいろな意見がありました。
③ 参加者からの近況や最近の話題提供、意見交換を行いました。
④ 又、トピックス情報としては、ゲストの北川様(京都で奥様と画廊を運営中)から
「国際的にビジネス最前線はARTを取り込んで活性しているのだが、日本はその点ひどく遅れを取っている」というお話しを頂きました。傾聴に値するお話だと感じました。
(岡田優 記)

活動会からの近況報告

海外を見てみる会

イントロダクション:参加メンバー全員が15~30年振りのパリに特化した旅行をしてきました。(但し1日ベルギーに)!思い切り欲張った旅程の紀行をお楽しみください。(山本儀子記)

パリ市内観光・エッフェル塔・オペラ座・ラセーヌミュージカル 金谷 末子

エッフェル塔からセーヌ川とシャイヨー宮を望む

秋の色に染まり始めたパリの街並みを歩きながら秋の訪れを実感した6日間だった。
初めてパリを訪れたのは1980年秋だった。当時、松下電器産業(株)(現パナソニック)照明研究所に在籍していた私は照明デザイナーの先駆けとして国内外で活躍されていた東宮 伝先生が企画された「ヨーロッパ照明設計技術視察団」の一員としてフランス、オランダ、ドイツ、イタリアの4か国を駆け足で訪問した。「パリのホテルは寝室から浴室に至るまでブルーを基調として洗練されたカラーコーディネートがされている反面、街並みはうす暗く、街灯や信号灯も少なく黒くうす汚れた小型車が乱雑に駐車している」と古い日記に記していた。
あれから40年の歳月が過ぎてパリの街並みは美しく変身していた。初日はパリ市内のバスツアーからスタートした。車窓から眺めるマロニエの枯れ葉が舞いはじめたシャンゼリエ通りを通り抜けてエッフェル塔に到着。エレベータを乗り継いで展望台にたどり到着した。

ラ・セーヌミュージカル・オーデトリアム

シャン・ド・マルス公園の北西に位置するエッフェル塔の展望台から眺めるパリ市内の遠景は深い木々の緑に包まれて静かで成熟した街に見えた。オペラ座への通りも建物のファサード・デザインや建築高が統一されていて整然とした美しい街並みに見とれている間にオペラ座に到着。オペラ座のエントランスホールのブルーやピンクの色光照明にいささか驚いたが、各階に展示された劇場内の舞台の広さと観客席の豪華さ、そして数々の展示物に改めて歴史の重さを痛感した。夕方は世界的建築家坂茂氏が設計し、環境に配慮した建築としても注目されている「ラ・セーヌ・ミュージカル」でMarie-Agnes Gillot ショーを鑑賞した。

 

ベルサイユ宮殿・オルセー美術館・ムーランルージュのディナーショー 脇屋 英子

オルセー美術館で脇屋さん(左)と金谷さん

パリの旅3日目は 午前中はベルサイユ宮殿見学 午後はオルセー美術館の美術鑑賞、夜はムーランルージュでディナーと夢のような1日です。
ベルサイユ宮殿には20年前に一度訪れ今回が2回目、その姿は全く変わらぬままでした。鏡の回廊、謁見の間、ルイ16世の寝室、マリーアントワネットの寝室、描かれた絵画やきらびやかな調度品の数々それはもう息をのむほど美しく今でも着飾った貴婦人たちや勇敢な男たちの笑い声や舞踏会の音楽が聞こえてきそうな気がします。そして当時の貴族社会がいかに絢爛豪華で贅沢三昧に明け暮れ、略奪搾取を繰り返してきたのか想像の域を超えてしまいます。そしてそれは20年前にも感じた想いと同じ・・・人の欲望の深さを思い知ったような気がしてしまいます  そしてそんな貴族社会の中で運命に翻弄され、美しく無邪気なままベルサイユ宮殿とともに歴史に名を残し断頭台に消えたマリーアントワネットを思うと思わず涙がこぼれてしまいます。
オルセー美術館は昔の駅を改築して美術館にしたとか・・・駅の面影は残っていて細長くて空間を生かした作り方? そしてあのたくさんの絵を見ていると絵とは歴史の承認者であると納得。

ムーランルージュで全員、ディナーを楽しむ

今の写真やフィルムやCDのように記録媒体としての役割を果たしていると改めて思う。
オルセー始めルーブル、チェルリー等の美術館のおびただしい数の絵画、彫刻、その他美術品、資料などを思うとそのスケールの大きさ、財力、それらの美術品に対する造詣の深さに圧倒されてしまいます 美術文化に疎い私ではありますが感動の連続です。
歴史と文化を堪能しちょっと俗世間に・・ムーランルージュの夜を楽しみました。ホテルへお迎えが来て、予約の席に案内されてのディナー。昔の面影を色濃く残すショーと時間が止まったままの様です。パリに来たらムーランルージュで楽しまなくっちゃ。私たちは目いっぱいのおしゃれをして出かけます。夜の更けるのも忘れて楽しみます
最後にチャンプの海外を見る会 綿密な盛りだくさんの計画有難うございました。

ブリュッセル日帰り旅行 岡 美佐子

グランブラス広場で岡夫妻

チャンプ研修旅行にご一緒させていただきました。30年位前からずっと行っていないパリ。心ときめかせて参加いたしました。
パリに特化した旅行でしたが、1日だけベルギーのブリュッセルに行ってまいりました。
ブリュッセルは中世を色濃く残す石畳の街。「小パリ」といわれる街です。シトシトと雨が降り、ヨーロッパの初秋の雰囲気たっぷりです。
ベルギーといえば、ビール、チョコレート、レース等々魅力あふれる国に、食欲と買い物欲を引き連れて列車での移動となりました。隣国とはいえ外国です。規制が厳しいかと思ったら簡単な手続きですんなりと入国できました。駅近くの市庁舎広場、石畳の広場に沿って建物がそびえたつ正にヨーロッパ。
世界遺産にも登録されているこれが「グランプラス」。ギルドハウスに囲まれて圧巻の美しさでした。特に市庁舎がグランプラスの中心でとても美しい建物です。これと比べると藤沢市庁舎(藤沢市民なので取比べると)のなんと味気ないこと。ギルドハウスの中にビール博物館があります。せっかくなので入館しました。それ程広い工場ではなく、1ドリンク付きです。スッキリした飲み口のビールでした。私としては黒ビールが飲みたいなとは思っていたのですが。一寸寒い日だったので付いているビールのみで終わりました。

聖ミシェル大聖堂外観

ショッピングは先ずはチョコレート。山本代表が、日本から交渉していらしたチョコレート店へ。日本の方が経営しているお店で、賞を取ったという有名店です。そこで試食しながら買い物を楽しみました。荷物をチョコレート店に置かせていただいて、楽しみにしている昼食へと繰り出しました。お店は、チョコレート店の店主おすすめの店へ。お店を入ると、他のお客様が全員ムール貝を食べています。しかもキャセロールで。おすすめはやはり、キャセロールでボイルしたムール貝。私としては、ムール貝は、余り美味しいものという認識がなく、注文しました。ところが、出てきた貝を一口食べたところふんわりとした甘みが広がり、とっても美味しい!
今まで食べた中で、一番おいしい貝でした。しかも、量が多い。白ワインととても合って、これを食べられただけでも幸せ・・・・
午後は、聖ミッシェル大聖堂へ。外見は地味な教会でしたが、一歩足を踏み入れると、ステンドグラスは高く素晴らしいものです。きらびやかな装飾はないのですが、雰囲気が荘厳で心洗われるような気分になりました。

市の中心に戻り、ギャルソー・サン・チュベールへ。建物がアールヌーボーで透明の天井が高く、ショッピングアーケードなのにお洒落で、中の品物もまたお洒落に見えます。ウィンドウショッピングを楽しみながら、小便小僧を鑑賞に行きました。相変わらず(当たり前)小さくてこんなところに?と思うような場所です。観光客が写真を撮っていてにぎわっていました。
しゃれた靴屋さんがあったので、一寸入店しました。確かに日本とちょっとデザインが違う素敵な靴がありました。値段を見るとそれなりに高かったです。ので、迷った挙句買わずに終わりました。
その後、ちょっとしたアクシデントがあり、前出のチョコレート店のオーナーにとても親切にしていただきました。パリ行きの列車の時刻が迫っていて道がわかりにくいだろうという事と駅周辺は物騒だという事で、ホームまで送ってくださいました。駅の中にも近寄らないほうが良いところがあるそうです。感謝です。
旅行の楽しみの一つに出会いがあると思います。それは、人と、食べ物と、景色と、建物とetc.
Bon voyage!

女性建築家イサベル・マイネクさんと市内見学・坂茂さんと会食 前田 隆彦

ニュータウンにて

パリ旅行の四日目は、パリの女性建築家Isabel Meinecke氏がホテルへ朝10時に迎えに来てくれて、パリの地元の人目線でのおしゃれな建築やお店やパッサージ(路地)を徒歩にて巡りました。Isabel氏はシックな服装を着こなしておられて、落ち着いた知性のある物腰の方です。午後はタクシーを使ってパリ市西ブローニュの森北側に2014年に完成したフランク・ゲリー設計のフォンダシオン ルイ・ヴィトン(文化・芸術複合施設)を見学、その後新市街Clichy-Batignollesへ移動、このニュータウンは3,400戸の住宅を擁するエコ地区(持続可能を目指す複合開発)で、レンゾ・ピアノなど著名な建築家が参画しており、大きな街区割にそれぞれ工夫をこらした大型の建物がたくさん並んで圧倒されます。

坂さん〈右から三人目〉を囲んで歓談

巡りの最後はIsabel氏の内装工事の現場を案内して頂きました。古い立派な建物の4階半フロアをリニューアルされています。パリ伝統のスタイルと色彩でまとめてありさすがです。 WCには洗浄便座内蔵の便器が設置されており、Isabel氏の自宅にも設置しているそうです。やはりいいものはいいということですね。
市内巡りも日が落ちて夜7時になり、坂茂氏の事務所へお伺いしました。坂事務所は古いアパート建物の6階が事務所で、紙管を使った間仕切りや書棚がしつらえてあり、天井の高い広々とした空間になっています、そこでは多国籍な所員が働いており、奥のブースで坂茂氏が仕事をしておられました。多忙の中でしたが、坂先生お気に入りのフレンチレストランヘ行き、おいしい料理とワインなどを皆で食べながら、坂先生のこれからのプロジェクトのことやパリの近況等などをお聞きしました。

ルーブル美術館・セーヌ川クルーズ・サヨナラデイナー 岡泰正

岡さんお気に入りの“ニケ”の彫像

帰国前日10月18日朝一番にぐついた天候を突き、ホテルより徒歩でルーブル美術館に向かいました。私の個人的なお目当ては“ニケ”の彫像。(以前にも見たことはあるのですがその圧倒的な美しさと迫力に足が止まりました)今回も大満足。

ガイドさんの説明で分かったのですが、この像が発掘された時には、一部破壊されており、向かって左の翼が修復できず、石膏で間に合わせたとか。成程、だから像を向かって右から眺める方がより一層美しく、美術誌に掲載の写真はすべてそのアングル撮りをしていたのです。納得。

ルーブルで軽い昼食を摂り、セーヌ川のクルーズへとバスで向かいました。エッフェル塔の足元に船着き場がありそこから乗船。この頃には天気も回復。船の上甲板に陣取り出発。オルセー美術館(元は鉄道の駅)や美しい建物、絢爛な橋の下をくぐって進みます。別の場所でのガイドさんの話ではこれらの景観はナポレオン・ボナパルトの時代には完成していたとか。そうすると200年以上前の景観のままであり、フランスの当時の力を改めて認識すると同時にパリの奥深さを強く感じました。ただ、ノートルダム寺院が火事で傷つき、修復されていた光景に胸が痛みました。昔通りの美しさを早く取り戻せ!!

修復工事中のノートルダム寺院

夜は、ホテルの近くでしたが一同、正装してGrand Vefourというレストランへ向かいサヨナラ夕食会です。このレストランは非常に高名らしく、パレ・ロワイアルという建物の中にありました。パレ・ロワイヤルは名前からしてかつての宮殿でしょう。今は下の階に店舗、上部は住居で、素晴らしい庭園を囲んで建てられています。食事も美味しかったがサービスが最高でした。フランス料理はかつてバターをたっぷり使用し、ヘビーなものでしたが、最近は、健康志向なのか軽めの料理が多いように感じます。最高のレストランでしたが、値段も最高。財布の中身が乏しい身には厳しい。トホホ・

健康と栄養を考える会 認知症を予防する~笑いと栄養~

今、日本では認知症(3百万人)やアルツハイマー病の増加が問題になっています。徘徊して自宅に帰れない高齢者が日本全国で毎年1万数千人にも上っているということです。認知症の中でもアルツハイマー病は70%を占める国民病になっており、これを克服することが今や喫緊の課題になっています。そこでアルツハイマー病を遠ざけるには何が必要なのかを次に述べてみます。
アルツハイマー病の特徴としては①脳の委縮が挙げられる。筋肉と同じで使わない細胞はどんどん減少していく。②次に脳細胞の中に2種類の異常タンパクが蓄積してくる。1つはβアミロイドという老人班、もう一つはPHFという神経原線維変化が見られるようになる。①と②が何故起こるのかについては、今のところまだ解明されていないが、分子栄養学では活性酸素が両者に関わっているだろうと想定している。もう1つアルツハイマー病の特徴として、③アセチルコリンという神経伝達物質の減少が挙げられる。これは運動神経や知覚神経の伝達に関わって重要な働きをしている。(コリン:抗ボケ因子とも言われる。ビタミン様のもので、ビタミンの働きを助けるものとされる)
ではアルツハイマー病を遠ざける為にはどうすればよいか? それには頭を使うこと、特に1)笑うことと2)学習が重要になる。1)~笑う回数の多い人はボケにくいと言われている。子供は1日に百~2百回笑うのに大人は十数回、70代になると1日に2~3回しか笑わないそうである。日常生活において笑える状況はそんなにないにしても笑えるネタをいくつかストックしておいて、時々思い出して笑う(思い出し笑い)のがいいようだ。(サラ~川柳、OL~川柳など)。2)~学習では、テレビや週刊誌ではなく硬い情報(例、健康とか科学情報や新聞など)の学習が必要であることを三石理論では説いている。
冒頭に述べたように高齢化と共に脳の萎縮と異常タンパクの増加が見られるというのが、アルツハイマー病の特徴である。そこには活性酸素の存在が想定されるとしたが、ならばそれの対策として当然浮かび上がってくるのがスカベンジャーとしての抗酸化物質である。
ヒトの脳は大量の酸素を消費してエネルギーをつくっており、そこには使った酸素の2%は活性酸素となって脳内に出てくる。これは脳の組織にダメージを与えるものだから自前の除去酵素とか①ビタミンなり②食品なりで除去していくことが必要である。
①のビタミンとしては、V~A、B2、C、E(ビタミンC~最低でも2g/日は必要)
②の食品としてはカロチノイド  人参、カボチャ/卵、魚卵、サケ、イクラ等
ポリフェノール 赤ワイン、お茶(タンニン)、コーヒー、ゴマ、柿など
フラボノイド  野菜等は高分子なのでそのままでは人体に吸収されな い→低分子化したもの~SOS(メグビー製)
後半残り30分で「遺伝子」~驚異の新世界(NHKスペシャル)を簡単に紹介した。遺伝子2%を除いた残り98%のDNA部分で顔の個性や身体各部の個体差を決めている。(原田 記)

山の会

千畳敷紀行(高山植物を愛でる) 古作敏男

ロープウェイの終点・千畳敷駅(2,612m)を出ると、青空の下、宝剣岳(2,931m)をピークに山並みが左右に連なり、その下には緑の千畳敷カールが我々を迎えてくれています。ついに念願かない(何の苦労もなく)ここまで来たのです。木村さんありがとうございます。
木村隊長ら4人の木曽駒ケ岳登頂組を見送ってから、ガイド役の吉田保晴さん(素晴らしい方です)に従い千畳敷カール遊歩道を下り始めます。まず、白い小さな花をつけた低木に会い、「ウラジロナナカマド、種子は有毒」と吉田さん。剣ヶ池までの遊歩道沿いにいろいろな高山植物がかわいい花を精一杯咲かせています。チングルマ、ハクサンイチゲ、コイワカガミ、シナノキンバイ、ミヤマクロユリ・・・。圧巻はコバイケイソウです。今年は6年ぶりの「当たり年」とか。白い花の形も独特ですが、それがカール(Kar)一面に咲きほこっているさまに息をのみました。山や高山植物に縁のない私にとって一生の思い出になりました。今度は、ウラジロナナカマドの紅葉を見に来たいと思います。

木曽駒ヶ岳と養命酒工場ツアーに参加して 中林由幸

木曽駒ヶ岳山頂にて

山の会・夏の遠征が7/30(火)~31(水)に28名が参加して実施されました。8:30に新宿を貸し切りバスで出発の予定だったのですが、何とその時間に小田急線が人身事故で停まってしまい私を含めて沿線組は他社線で大回りをするなどで大幅に遅れてしまいました。結局1時間遅れになりましたが何とか全員揃って出発することができました。中央高速を走り、駒ヶ根インターで下りて名勝「光前寺」の門前のそば処「やまだや保翁(やすおう)」で昼食をとりました。光前寺は1200年も前に建立された古刹で、なんとも古びた三重の塔などもあり、実に趣があり感銘を受けました。参道の両側の石垣の隙間の奥に緑色に輝くヒカリゴケも見ることができました。

その後、1日目の主目的である「養命酒駒ヶ根工場」見学に向かいました。工場は山すそに斜面に沿って建てられた7棟程度の近代的な建物で周辺は川や緑にあふれ「養命酒健康の森」になっています。瓶詰めから梱包まで自動化された工場内でいろいろな説明を受け、試飲もさせてもらいましたが江戸時代の後期から養命酒がつくられて現代までほとんど変わることなく世の中に受け入れられ続けているということに感銘を受けました。14種類の天然の生薬を原料としていることが安心して長く飲み続けられる秘訣と思われますが、その効用をアルコールで増進させている点がユニークです。サプリメントのはしりともいえますが食品ではなくれっきとした医薬品です。今回の見学では創業者の子孫でもあるチャンプ会員の新井将史さんが万端手配をしてくださったおかげで大変丁寧に案内してくれたうえにおみやげまでもらい感謝です。

新井家旧宅の蔵門

次に新井さんが相続して管理している中川村「新井家旧宅」を訪問しました。見晴らしのいい丘の中腹に建てられた築120年超えの「蔵門」と呼ばれるめずらしい建物が目玉でした。門でありながら二層の建物になっていて両側に部屋があり人が詰めたり作業をしたりできるようになっています。外側1階はなまこ壁の重厚なデザインで文化財として指定されてもよさそうな建物です。現在は誰も住んでいないので維持管理が難しく、この場所をどのように活用できるか新井さんも頭を悩ませているそうです。その日は中川村の望岳荘に投宿しました。
明くる日はいよいよ中央アルプス木曽駒ヶ岳をめざして朝早くバスで出発、途中で専用バスに乗り換えてロープウェイの出発点「しらび平駅」に到着。そこからロープウェイの60人乗りのゴンドラに乗って急斜面を8分ほど、950mを一気にのぼり「千畳敷駅」に9時過ぎに到着しました。ここは標高2612mで日本で最高所の駅になります。降りれば目の前に美しいお花畑・千畳敷カールが広がっています(カールとは氷河が削り取った広い椀状の谷を言います)。ここで記念写真を撮った後、カールを回って高山植物を鑑賞する組24名と木曽駒ヶ岳頂上をアタックする組4名に分かれました。カールを回る組には野鳥の会の吉田保晴さんがガイドとして付いてくれて動植物の説明をしてくれました。
山頂組4名は限られた時間で往復しなければならないので直ちに出発しました。満開のコバイケイソウ、ハクサンイチゲ、チングルマなどが目を楽しませてくれる登山道は白い御影石がごろごろしていて登りにくいのですがそれほど混雑しておらず順調に登ることができました。中間地点で手島さんが引き返すことにしたので、最終的に登頂したのは、木村、森田、中林の3名となりました。千畳敷から頂上(2956m)まで標高差は340mですが距離はかなりあり往復約4時間でした。頂上付近は岩が多く植物の種類も少なくなりカールとはかなり違っていました。
帰りは駒ヶ根バスセンターを15時にスタートし途中で京都から参加した辻さんを下ろしてから東京に向かいました。途中中央高速でフェラーリが炎上するという事故があり渋滞に巻き込まれ、予定より1時間以上遅れて新宿到着になりましたが楽しい旅の想い出を沢山貰っての解散と成りました。木村さん、新井さん、いろいろありがとうございました。

駒ケ岳遠征の後日談―イエルカ・ワイン氏のこと

編集担当者 宮尾のまえがき:7月30日~31日の二日間にわたる山の会の駒ケ岳遠征は幹事の木村さん、現地の事情に詳しい新井将史・ミリアム夫妻のご尽力により、楽しい実り多いものでした。事故もなく無事に帰宅した後、新井さんから全員で訪れた新井家の旧宅がある中川村に
住むチェコ人の話がメールで参加者全員に紹介されました。動乱のチェコを逃れて、フランス、アメリカを経て日本の中央アルプスの山々に囲まれた静かな山荘を終の棲家としているチェコ人、イエルカ・ワインさんの人生は我々の心に訴えるものがあります。新井さんからのメール2通とそれに対する二つの返信をご紹介いたします。これ以外にもいくつか返信が寄せられましたが、誌面の制約のため割愛させていただきます。ご了承ください。

新井将史さんから駒ケ岳遠征の参加者に送られた最初のメール

写真中央がイエルカ・ワイン氏

今回、皆さまと中川村に行くことになったとき、何とか時間の都合をつけてイエルカ・ワイン氏(中川村に住むチェコ人、Jirka Wein)をご紹介しようと思いましたができませんでした。20年ぐらい前、私どもの家を相続した時、私はほとんど現地に行けなかったので、家内が時間を見つけて現地に通ったことは前に申し上げました。その時家内は中川村に住む面白い人たちのネットワークを知り(ある人の紹介もあり)その中でイエルカを知りました。帰ってきていろいろな話をする家内にほとんど注意を払いませんでした。仕事が忙しくそれどころではなかったのです。しばらくしてどうしても現地に行く用事ができたとき、家内は何人かの人を紹介してくれました。今でも交流が続いています。イエルカのことは殊のほか印象に残りました。皆さんが宿泊した望岳壮からさらに山の中へ30分以上入った寒村に彼の家はありました。大きな家でしたが余りにも人里離れているところなので、なんでこんなところに住んでいるのだろうというのが第一印象でした。下記のyou tubeをご覧になると彼の暮らし方がお判りになると思います。
私が彼から聞いた面白い話をコンデンスして次便でお送りします。

新井さんの第二便

プラハの春については本当は何が起こったのかまだあまり知られておりません。数年前、40年近くフランスに滞在し帰ってきた日本人男性のフランス人伴侶から、チェコ人の中で抗議のため焼身自殺した人がいた、と聞きました。彼女のお父さんは大使館付き武官で当時プラハの大使館にいて目撃したそうですから本当の話でしょう。チェコ人の怒りがいかに大きかったかという証左だと思います。そのような混乱の中イエルカはチェコを後にしてフランスからアメリカに渡り、そこで織物を教えているとき、えつこさん(現在の奥さん)に会います。イエルカの生徒だったと聞いています。
最終的に日本に来て信州の大鹿村に住み着きます。そこで村に住む日本人夫婦にヤギの乳でチーズを作ることを提案、二人はフランスに行ってチーズの作り方を勉強、帰ってきて大鹿村でチーズを売り出し話題になりました。最近この夫婦は引退し美味しかったチーズ作りから手を引いたそうで残念です。その後イエルカはたまたま現在住んでいる農家を見て気に入り、借りることになります。持主は養蚕家だったので、2階に機織り機を入れるのに便利だったそうです。イエルカは多芸で織物の他に陶芸に手を染めたり、竹炭だか竹酢に夢中になり、近所に住むドイツ人男性とベートーヴェンを聞きながら徹夜で火加減を見ていたということで、奥さんは当時のことを感に堪えたように“それが本当に楽しそうなの”と言っていました。3年ぐらい前、久しぶりに会ってストーブを作っていることを知り驚きました。このストーブは優れものでいろいろな木材を入れることができるそうです。アメリカからの注文に応じることもあり、地元の中川村でもあちこちで見つけることができます。
彼の生家は代々造り酒屋で、名前のWein(ワイン)はそこから来ている、とも言っていました。酒大好き人間とすぐわかりましたので、当時、養命酒が造って大変評判の良かった焼酎を差し入れると大層喜んでいました。
この前お送りしたyou tubeは5,6年前のものらしく、現在、彼は70代半ばです。あの辺りでは有名人です。非常に幅のある人間で酒を飲みながらとりとめのない話をしていると実に楽しかったのを憶えています。今まではプラハの春の話題を避けていましたが、いつか彼の思いを聞いてみたいものです。
もうずいぶん前になりますが、イエルカの娘さんは飯田の学校に通っていました。イエルカが車で駅まで送っていましたが、大雪で通行止めになると、神が与えてくれた休息日と考え、学校を休ませたということです。このように生活を楽しんでいるのを目の当たりにし驚きました。家内は当時から中川村の生活もまんざらでないようで、今でも私をそそのかします。最近、それもいいかなと思い始めています。

山田信子さんからの返信

イエルカ・ワインさんのユーチューブ楽しく拝見させていただきました。本当にそうやって日本に根付いているチェコ人がいるのだな、と心にしみました。
プラハの春は15年くらい前に、春江一也の「プラハの春」「ベルリンの秋」「カリナン」に至る一連の小説を読んで夢中になり、私は2006年についにプラハを訪れました。到着後すぐに、国立博物館のテラスからヴァーツラフ広場を眺めて、ああ、ここにロシアの戦車が、ずんずんと進んできたのだな、並木もキオスクもなぎ倒して・・・どんなに怖かったことだろう、と感慨に涙が止まりませんでした。広場にあるヴァーツラフの騎馬像の足元には、そこで焼身自殺した改革派の学生ヤン・パラフを弔って、ビロード革命から17年も経ったあの時も、花や蝋燭が沢山手向けられていました。それからもチェコは順調にいったわけではありませんね。
私の手許に1989年に革命後、ハヴェル新大統領を迎えて、チェコ交響楽団がノイマン指揮で演奏したベートーヴェンの第9「歓喜の歌」のCDがあります。市民への弾圧に抗議して、チェコ国立ラジオ局との協力も拒否しての、市民フォーラムのライブです。今日は久しぶりでこれでも部屋中に響かせることにいたしましょう。

中林さんからの返信

イエルカ・ワイン氏の話は興味深いですね。
山田信子さんにもいろいろ関連ある経験がおありのようで驚きました。その年代の東欧のほとんどの人が歴史の大波に翻弄されたことでしょうから大変なことだったろうと想像するしかありません。
ユーチューブで驚いたことは、イエルカ氏が優れた技能・技術者であったということですね。特に彼が設計した薪ストーブには感心しました。私も薪ストーブを使っていますからわかりますが簡単に作れるものではありません。しかし彼のストーブはオーブンを内蔵してよくできていて評判も高いようです。価格も25万~29万円なので、大変妥当な価格だと思います。別荘や田舎暮らしには最適ですね。

会員消息

多彩な分野でアクティブに活動する会員有志の最新の消息や報告をお伝えします

山郷邦夫さんの水彩画展

 

夏が去りようやく秋の到来を思わせる爽やかな一日、横浜の副都心の一つ、上大岡で開かれている山郷邦夫さんの水彩画展を拝見しました。上大岡は京浜急行と横浜市営地下鉄が交差する横浜市南部の交通の要衝です。地下鉄の自由通路に沿って設置されたギャラリーに山郷さんの最近の水彩画の数々が展示されて、多くの通行者が足を止めていました。
作品は一点を除き、すべて山郷さんが海外旅行されて心に留めた風景を描いたものです。端正な筆遣いで描かれたフランス、イタリア、ギリシャなどの街角、広場などはいずれも細部まできめ細かく描き込まれています。多忙な旅の合間によくこれだけのスケッチができるものと感じましたが、作品はすべて現地で撮影した写真を、帰国後に水彩画として再構成させるとのこと、但し一枚の写真では全体の構成が無理な場合は数枚を繋ぎ合せて使われるとのことでした。旅の楽しみが倍増するわけです。次回はさらに充実した作品を画廊で展示してみたい、と意欲をお持ちの山郷さんです。(宮尾 記)

アウシュビッツ・レポート 小川昭彦

編集担当者宮尾のまえがき:本稿はすでに一部の会員には小川さんから直接メールで配信されたと思います。
私もメールをいただき、一読、全会員に紹介する価値ありと判断し、小川さんのご承諾を得て掲載しました。

今、ウイーンに来ているので「負の世界遺産=アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所」に
是非とも行ってみたいと思いました。往復の鉄道切符と現地での「日本語ガイド」の予約が取れたので思い切っていくことにしました。
9月13日(金)~14日(土)、行きは国際寝台特急、帰りは国際特急です。
ウイーン中央駅 22時10分発、チェコ経由でポーランドのクラクフ駅着翌朝6時16分着。
3人用個室寝台は男女別なので、家内とは別部屋でした。上段だったので、車掌がおこしに来るまでぐっすり寝ました。
ポーランド人の日本語ガイドとはクラクフ駅近くのマテイキ広場で待ち合わせ。そこからアウシュビッツ(Auschwitz)・ビルケナウ(Birkenau)までは専用バスで1時間20分。

〈アウシュビッツを訪れたいと思った動機〉
① 大学受験の外国語をドイツ語にしたくらい高校時代から「ドイツ」に興味と関心があった。
② 「夜と霧」(アウシュビッツに収容されて救出された心理学者の体験談)を読んだ。
③傑作映画と言われるハンガリーの「サウルの息子」(ユダヤ人の労務部隊員が主人公)を観て非常にシビアなアウシュビッツの生活に心を打たれ、現場で確認したかったから。

〈アウシュビッツ博物館とビルケナウ強制収容所跡の見学〉
○日本語のガイドはポーランド人で美人のユーステーナ(Justyna)です。ポーランド
で名門ヤンゲロン大学を卒業し東京外国語大学に留学。来年の夏から立教大学に国費留学
するそうです。将来の目標はパリのソルボンヌ大学の日本語担当教授になること。今は「今
昔物語」を研究している。翻訳業(日本文学をポーランド語に翻訳)のご主人も一緒に行く
そうです。
○3時間30分の見学時間で、アウシュビッツでは脱衣所・ガス室・焼却室の実物を観ました。
実際の収容施設で特に3段ベッドや粗末なトイレや輸送用の貨車などを観ましたが、説明
内容は衝撃的でした。

〈現地で知りたいと思っていた事柄〉
Q1: 何故、ナチス・ドイツは超大規模な殺戮工場を作ってユダヤ人を大量に殺したか?
◎:表面的な理由は「ドイツ民族は非常に優秀な民族であるが、ユダヤ人は劣悪な血筋であり
汚い民族である。皆殺しにしてしまう必要がある」
◎:今回、観たり聞いたりして別の理由もあると自分なりに気がついた。ナチス・ドイツは戦
況が悪化して軍事費が膨らみ非常にお金に困っていたようだ。そこで、金持ちの多いヨーロッパ中のユダヤ人から財産を巻き上げようとした・・・と思う。
◎:ユダヤ人に行く先も告げず貨車に乗せる。当然、全財産をもって貨車に乗る。遠い地区からは10日もかかってやっと死の収容所に着く。貨車内はトイレもなく、汚物垂れ流しの最悪の状態。降ろされて「はい、先ずシャワーを浴びて奇麗になりましょう・・」と言われて全財産を置いて全裸でシャワー室、実はガス室に入る。脱衣室⇒シャワー室(ガス室)⇒死体焼却が一連の流れで、簡単に財産を奪うことができる。ガス室で死体の口をこじ開けてユダヤ人の歯科医が金歯を抜いたようだ。財産はすべてナチス・ドイツに渡り軍事費に。やはり国家組織的な高度な強盗ですね。
若しナチスがユダヤ人の家庭を訪問してお金を出せと言っても隠してしまって、全部巻き上げることは不可能だったろう。脱衣室に全財産を置かせてガス室に送り込むとは実に巧妙な方法を考え付いたものだ。
やはり行って良かったです。「百聞は一見に如かず」と言いますが現地ではいろんな発見がありました。アウシュビッツは博物館になっていて、いろんな証拠品があるのですが特に目を奪われたのは「膨大な遺留品」です。トランク(スーツケース)、靴類、メガネ、髪の毛、義足類など。これだけの物が残されたということは、現金財宝も相当あったと思われます。戦争末期にはユダヤ人の髪の毛で布を紡ぐ研究をしていたそうです。出来上がった実物(布)が置いてありました。

Q2: 何故、ポーランドにホロコースト(ユダヤ人殺戮行為の総称)の収容所が多いのか?
◎:当時ヨーロッパ全土に約600万人のユダヤ人がいて、ポーランドには約半分の300万人が住んでいた先ずその人たちを絶滅させれば輸送コストが安く済む。
◎:実際に、アウシュビッツ・ビルケナウを観て、その広大なことに驚く。大量殺人工場を作るには、土地の安いポーランドが好都合だったのだろう。
Q3: 家畜用の貨車で運んだというが、トイレとかの環境は?
◎:トイレなどの施設は無し。1つの車両に30~60人が詰め込まれた。
◎:目的地の強制収容所に着くまで外から鍵をかけられ一歩も出られない。
◎:もともと人間とは思っていないユダヤ人は家畜以下の扱いだったらしい。
Q4: 強制収容所では人々を詰め込んだというが、どの程度のスペースに詰め込んだのか?
◎:ビルケナウには当時のままで収容施設が残っていた。木製の粗末なベッド。3人寝れば一杯のベッドに7人寝かされ、3段なら21人が収容された。
◎:悲惨なのは下段の人々。雨が降れば湿気は耐え難いものだったし、不衛生で伝染病が蔓延した。ガス室で殺された人・餓死した人・病死した人、やはり家畜以下の扱いです。

予想通り非常にインパクトの強い施設訪問でした。帰る途中、いろいろ考えさせられました。
アウシュビッツ博物館から3km離れたオシフンチム駅から16:54発の国際特急に乗り、
ウイーン中央駅に21:49着。約5時間の旅でした。

第2回チャンプコーラスコンサートのお知らせ

チャンプ総会・例会・忘年会のお知らせ

本部総会・忘年会
◆ 日時12月14日(土)                 申込締切:12月7日(土)
2019総会:            17:00~17:20
特別公演:一龍齋貞鏡師「赤穂義士伝」17:20~18:00
忘年会:              18:00~20:00

◆ 会場:新宿三井クラブ(新宿駅西口 新宿三井ビル54階)電話:03-3344-5454
◆ 会費:アルコールを飲む方 ¥9,000/1名
飲まない方     ¥8,000/1名
(10月からの消費税アップと貞鏡師匠出演料が加わり予告時より増額となりました。
どうぞご了承ください)

◆連絡先: チャンプ事務局:事務局は要員が常駐していないので、
お申し込みは下記要領でお願いいたします:
① メール利用可能な方はメールでお願いいたします。
Eメール:info@champjapan.com
メールを利用されない方は、FAXでお願いいたします。
FAX : 0466-42-0024(次頁のフォームをご利用ください)
② 上記①、②が不可の方は事務局へ電話連絡を願います。
留守の場合は、必ずメッセージをお残しください。
電話:0466-42-0023
(出欠お知らせへの受信確認のお返事は失礼させていただきます)

一龍齋 貞鏡師匠の紹介

父は八代目 一龍齋貞山、祖父は七代目一龍齋貞山

出身地:東京都世田谷区
出身校:武蔵大学
芸歴:平成20年1月 一龍齋貞山に入門
平成24年2月 二つ目昇進

赤穂義士伝のような古典的な噺をはじめ
世話物、滑稽話、新作講談など幅広い
演目をこなす。

(以上は本人ウエブサイト、ウイキペディアなどから抜粋)

チャンプ忘年会開催日12月14日は赤穂義士が吉良邸に討ち入りした日なので「赤穂義士伝」を演じていただきます。

関西支部例会・忘年会

11月28日(木) 18:00~21:00

🔷 会場:神戸(外国)俱楽部
神戸市中央区北野町4-15-1 電話:078-241-2588

🔷 会費:¥8,000/1名

🔷 出欠連絡:前田潤

お問合せはこちら

編集後記

ラグビーワールドカップでの日本代表チームの健闘は皆さまもご覧になったと思います。いわゆる“にわかファン”の私も、第一次リーグ戦はサモア戦を除く3試合と決勝トーナメントの南ア戦を手に汗を握る思いでテレビ観戦しました。日本代表の活躍で最も感銘を受けたのは、約半数が日本国籍を持たない外国選手だったことです。One Team のスローガンのもと多国籍の選手が“必ず勝つ”の強いモチベーションを持って一丸となって戦いました。今後、日本には外国から多数の人材が入ってきて、企業も一般社会もどんどん国際化するでしょう。今回の“さくらジャパン”は将来の日本にとってまことに素晴らしいロールモデルを示してくれました。(宮尾 記)